ちょっと厳しい書き出しになって
しまったか。


世田谷シアタートラムで公演中の
ミナモザ『みえない雲』を
観劇した感想である。


『みえない雲』は原発事故をモチーフに
書かれた小説を舞台化したものだが
原発事故前後の人々の生活が

すばらしく良く描写されている。



脚本家はどうやら、ドイツに在住の
『みえない雲』の著者を訪問も
しているようだった。



そして、よくよく考えたのだが...

原爆が実戦で使われたのは、
広島・長崎の2回だけであり、

第2次大戦のときは、アメリカも
かなり疲弊していて、早く終戦に
持ち込みたい、日ソ不可侵条約が
昭和20年の秋に切れて
このままでは収拾が付かなくなる、

帝国陸海軍が秋から本格的に
本土決戦に備えて準備を始めたなど


とにかく、戦争を昭和20年の夏に終結
しなくてはならない、差し迫った事情が
あったのは事実であるだろう。


しかし、戦争の道具として開発された
原爆よりも、平和利用目的の、
産業発展のために作られている
原発のほうが、犠牲者も多く

生活を困窮せしめている気が
するのは、なぜだろうか?


京都議定書などで、国際社会で
CO2ガスの厳しい条件を掲げた
日本を、当時はやや誇らしく感じた

のだが、よくよく考えるとこれも
のちの原子力政策を考えたもの
だったのではないか?


真面目に原子力開発をしておられる
皆さんには悪いが、原発で稼ごうと
している企業があるのも事実。


厳しい言い方にはなるが、
そういう企業は、結局、死の商人と
似たようなことをしてきたのではないか?

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